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河田木曽川渡河の戦い : ウィキペディア日本語版
河田木曽川渡河の戦い[こうだきそがわとこうのたたかい]
河田木曽川渡河の戦い(こうだきそがわとこうのたたかい)は関ヶ原の戦いの前哨戦のひとつである。

== 戦況 ==
池田輝政浅野幸長山内一豊率いる東軍1万8千人は、美濃国羽栗郡河田島村(現各務原市川島河田町)まで進軍し、木曽川を目前としていた。これに対し、岐阜城城主織田秀信は、百々綱家飯沼長資らを美濃国羽栗郡米野村(現笠松町)に配置した。織田秀信の作戦は、米野村で撃破し、さらに中屋村、新加納村(現各務原市)、川手村(現岐阜市)で残党を撃破するものであった。西軍は総勢9千人であった。
1600年8月22日明方、池田輝政率いる東軍は木曽川渡河を決行。西軍は鉄砲隊を中心に撃破を試みたが、東軍は木曽川の中洲の小屋場島(現各務原市)まで進軍し、陣を張る。そして対岸の米野村に進軍を開始する。
同日昼、両軍は米野村で激突する。(米野の戦い

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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