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河越重頼 : ウィキペディア日本語版
河越重頼[かわごえ しげより]

河越 重頼(かわごえ しげより)は、平安時代末期の武蔵国入間郡河越館の武将。新日吉社領河越荘の荘官源頼朝の命令で源義経に娘(郷御前)を嫁がせた事から、源氏兄弟の対立に巻き込まれ、誅殺された人物である。
桓武平氏の流れを汲む秩父氏の一族。秩父党総領家が代々受け継いできた「武蔵国留守所検校職」にあり、武蔵国の軍事統率権を有する同国の最大勢力であった。妻は源頼朝の乳母比企尼の次女(河越尼)で、源頼家の乳母。
== 生涯 ==

=== 秩父党の嫡流 ===
久寿2年(1155年8月16日大蔵合戦で祖父・秩父重隆源義賢と共に源義平に討たれる。翌保元元年(1156年7月、重頼は弟・師岡重経と共に保元の乱源義朝の陣に従った。『保元物語』の白河殿に義朝が夜討する場面で、重頼・重経は「高家」として他の武士と区別して書かれている。
平治元年(1159年12月平治の乱で義朝が平清盛に敗れ、 永暦元年(1160年3月、義朝の嫡男・源頼朝(14歳)は伊豆国流罪となる。頼朝の乳母・比企尼は、武蔵国比企郡の代官となった夫の掃部允と共に京から領地へ下り、治承4年(1180年)の秋まで20年間頼朝に仕送りを続けた。比企氏の次女を娶った重頼は、同じく比企尼の婿である安達盛長伊東祐清と共に頼朝を援助している。
永暦元年(1160年)、河越氏(能隆もしくは重頼)は、所領を後白河上皇に寄進し荘官となる。上皇はさらに京都の新日吉山王社へ寄進し、所領は新日吉社領河越荘と呼ばれるようになった。この年の武蔵国司平知盛であり、『平家物語』「知章最期」の章段に書かれた一ノ谷の合戦場面で、重頼の嫡男河越重房が知盛の逃がした名馬・井上黒(河越黒)を捕らえる逸話の縁が伺える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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