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河部五郎[かわべ ごろう]
河部 五郎(かわべ ごろう、1888年7月5日 - 1976年8月31日)は、日本の俳優である。初期の日活映画で活躍したスター俳優である。 == 来歴・人物 == 大阪府大阪市に生まれる。14歳の時に俳優を志して、歌舞伎の市川市蔵の弟子となった。その後秋川圭之助の「成美団」や、山田九州男の一座など転々とした。新時代劇の「自然座」を結成して各地を巡演していた頃、日活の副社長と、同社の重役スターだった尾上松之助に見出され、1925年に大将軍にある日活京都撮影所に入社した。 同年10月公開の『義刃』で主演デビューした。その次に尾上松之助主演の『荒木又右衛門』で助演した。1926年、『修羅八荒』(全六篇)に浅香恵之助役で主演、爆発的な人気を集めた。1927年、『地雷火組』『砂絵呪縛』などに主演した。また同年、伊藤大輔監督の『下郎』に主演、同作は封建的な階級制度を批判して傾向映画の先駆となった作品で、キネマ旬報ベストテンの第9位にランクインした。以降も多くの作品に主演し、尾上松之助亡き後の日活時代劇のスターとして活躍した。 1932年、東活映画社に移り4作に主演した。同年東活を退社、河部五郎一座を結成して舞台で活躍した。1937年に再び日活に入った。だがかつてのように主演を張る事はほとんどなく、片岡千恵蔵や阪東妻三郎らの助演者として出演した。 戦後は一時、割烹旅館を経営していたが、1952年に再び映画界に戻った。主に東映時代劇で悪役・脇役として活躍した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河部五郎」の詳細全文を読む
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