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河野仲次郎[こうの ちゅうじろう]
河野 仲次郎(こうの ちゅうじろう、文政10年(1827年) - 明治15年(1882年))は、幕末期の八王子千人同心頭。維新後に通唯と改名、初名は通聿。 == 経歴 == 千人頭・志村内蔵助貞慎の次男。千人同心旗本河野家(270石)12代・河野通徳の養子となり、13代目を継ぐ。安政4年2月より、芝新銭坐の鉄砲方教授・江川英龍に入門して西洋砲術を修め、千人同心の兵制改革に着手。自ら兵法の教則本を執筆し、陸軍奉行配下の「千人隊」を組織する。 1868年(慶応4年)上野戦争が始まると、200名近くの千人同心と組頭・日野信蔵(義順)と共に彰義隊に加わる。敗れて東征軍(官軍)に捕らえられ、静岡藩に送致される。のにちに許されて東京に出て慶應義塾(『入社帳第1巻654項、第2巻296項』)に学んだのち、大蔵省に入る。ほか、晩年に自由民権運動に関わった日野義順の碑も手がけた。 墓所は青山霊園。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野仲次郎」の詳細全文を読む
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