|
河野 公平(こうの こうへい、1980年11月23日 - )は、日本のプロボクサー。本籍地は山梨県中巨摩郡櫛形町(現 南アルプス市)〔南アルプス市ゆかりの世界チャンピオンが誕生しました 南アルプス市ふるさとメール 2013年1月15日付〕。第32代日本スーパーフライ級王者。第28代・第30代OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王者。第22代・第24代WBA世界スーパーフライ級王者。闘争心溢れる突進が持ち味。ワタナベボクシングジム所属。東亜学園高等学校、日本鍼灸理療専門学校卒業〔河野公平オフィシャルブログ 2014年10月18日閲覧 〕。森永製菓からウイダーのパートナーとしてサポートを受けている。 == 来歴 == 高校時代は陸上部に所属していたが、『6ヶ月でプロボクサーになる』を読んでボクシングを始める。ワタナベジムに入門し、1999年以降はトレーナー・高橋智明の指導を受けている〔河合香 河野3度ぶっ倒して新王者 日刊スポーツ 2013年1月1日閲覧〕〔河野、王座奪取! 引退覚悟で大番狂わせ…WBA世界Sフライ級戦 スポーツ報知 2012年12月31日閲覧〕。 2000年11月22日、20歳前日にプロデビューする。デビュー戦は敗戦となってしまうが、その後は順調に勝ち上がる。 2002年12月22日、三枝健二に勝ち8連勝の東日本スーパーフライ級新人王として、西軍代表中広大悟と全日本スーパーフライ級新人王を争うも、6回判定で敗れた。 2003年11月4日、1勝後、後に3度戦う菊井徹平に8回判定勝ち。初の8回戦・ランカー対戦で日本ランカーとなった。以後ランク落ちなし。 2005年7月16日、4連勝後菊井に8回判定負けで連勝ストップ。 2006年2月11日、プロスパー松浦(当時、名城信男の持つ日本王座に挑戦し10回判定で敗れていた)の再起戦に選ばれ、9回TKOで下す。プロスパーはこの試合で引退を表明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野公平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|