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河野 季通(こうの すえみち)は、戦国時代の武将。 == 生涯 == 河野氏の一族とされる河野政通の嫡男として生まれる。父同様、安東氏(政季・忠季)に臣従して「季」の1字を賜い季通と名乗る。 父とともに蝦夷地開拓を行っていたが、それに反発したアイヌの軍勢によって永正9年(1512年)に宇須岸河野館を攻撃され、父の政通と3歳になる娘を逃した後に自害した。 娘は後に蠣崎季広の正室となり、松前慶広等を産んだ。季通死後、河野氏の名跡は断絶していたが、慶広の六男が継ぎ、河野時広と名乗ったが、後に名字を松前に戻して、松前景広と名乗った。以後は河野系松前氏として松前藩の藩政に貢献した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野季通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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