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河野常吉[こうの つねきち]
河野 常吉(こうの つねきち、1863年1月11日(文久2年11月22日) - 1930年(昭和5年)9月3日)は、明治大正期の北海道史研究者。アイヌ研究者として名高い河野広道は子、河野本道は孫に当たる。 == 生涯 == 信濃国安曇郡犬飼新田村(現・長野県松本市)に河野通重の次男として生まれる。長野県師範学校松本支校を卒業後、1881年に上京し慶應義塾(現・慶應義塾大学)で2年間学んだ後、秋田県の小真木鉱山の分析主任となる。 郷里へもどって養蚕業に従事、『信陽日報』客員として活動、またこのころ自由民権運動にも関係していたといわれる。その後、長野県庁や東京中央気象台に勤務、この間の学歴・職歴のなかで、人文・自然科学の広範な教養を身につけている。 1894年(明治27年)北海道へ移り、北海道庁嘱託となって拓殖行政にかかわるようになる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野常吉」の詳細全文を読む
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