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河野金昇[こうの きんしょう] 河野 金昇(こうの きんしょう、1910年 - 1958年3月29日)は、日本の政治家、愛知県選出の衆議院議員。海部俊樹の師匠として知られている。 幼少時に足を負傷し、治療が不十分であったために障害が残った。河野の親は、障害者となった息子を不憫に思い、兄弟の中で河野だけを大学に進学させてあげたという。1933年(昭和8年)早稲田大学専門部を卒業する。その後、政治を志し、大学の先輩に当たる中野正剛の門下となるが、1943年(昭和18年)中野が東條英機内閣を「戦時宰相論」で批判すると、10月に東方会の同志共々、特高に検挙され中野は自刃するという悲運に見舞われた。 戦後、1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に無所属で立候補し、当選する。以後当選6回。1955年(昭和30年)の保守合同で、自由民主党に参加。中野譲りの剛直で清廉潔白な正義感として知られ、自宅は、地元の一宮市の工場の2階を借り、終生借家住まいの代議士であった。大臣顕官には就かなかったが、清貧と情熱に惚れ込む支持者が多かったという。 1958年(昭和33年)3月29日に急死。妻・河野孝子が一期務め、その後、河野の秘書であった海部俊樹が跡を継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野金昇」の詳細全文を読む
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