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泉パークタウン(いずみパークタウン)は宮城県仙台市泉区の丘陵地帯にあるニュータウン。三菱地所グループ(子会社含む)が単独で手がけており、一つの民間企業が単独で手がけるものの中では日本最大規模の複合開発事業である。 == 概要 == *総開発面積1,070ha *計画人口50,000人 泉パークタウンは、昭和40年代仙台市(当時)の急激な人口集中により住宅不足が問題になっていたため、当時の仙台市北郊においてベッドタウンとして急速に発展していた宮城郡泉町(1971年に泉市)の黒川丘陵上に三菱地所がニュータウン計画を作成した。当時主流だった単に新興住宅地を建設して大都市の住宅供給を行うという趣旨ではなく、最先端の工業団地やゴルフ場、スポーツ施設、大規模商業地区、大学等がある一つの完結した都市を作ることを目的とした〔三菱地所株式会社「泉パークタウン開発概要書」、1999年刊『仙台市史』資料編5(近代現代1交通建設)550頁。〕。事業期間は1969年(昭和44年)からで、1974年(昭和49年)から高森地区の入居が開始された。現在、根白石地区に計画されている第6住区の開発が残っているが、それ以外は整備が完了している。開発されて30余年が経つが、自然と都市が融合し、年月を感じさせない街並みが今も人気である。仙台を代表する新興住宅地として高評価されている。1998年度(平成10年度)に都市景観100選を受賞した。 都市景観の保全という観点から商店の進出が大幅に規制され、コンビニエンスストアや商店は非常に少ない。また、アパートを建てる事ができないため、学生、単身赴任などの短期滞在者がここに住むことは難しい。 分譲から30年以上経過しており、第1期分譲地区である高森地区は住民の少子化、高齢化が著しい。最初に開校した高森小学校は1984年(昭和59年)に1084名を数えたが、のちに寺岡小学校、高森東小学校に分離、その後の児童数は減り続け、2005年(平成17年)には児童数195名、各学年1クラスとなったが、その後2丁目の共同住宅用地にマンションが建設されたことで子供の数が増加し、2009年(平成21年)4月には久しぶりに1年生が2クラスとなった。 定住型住宅地なので、一度建てると住民の転出入は少ないため、学校を建設しても一時期においてはマンモス校になるが、その後は減少の一途をたどる。これは、仙台市内の他の住宅団地(鶴ケ谷・茂庭台・南光台・長命ケ丘・泉ビレジ・将監・黒松など)でも同じように見られる傾向である。一方、仙台市都心部に隣接する住宅地(錦町・上杉・五橋・北仙台など)は次々と新しいマンションが出来ており、人口も郊外の団地と比較すれば増加の傾向にある。これは、中心街区は古くより住民の転出入が多かったことや、都心回帰の影響によるとされている。いずれにせよ、仙台市においてもドーナツ化現象に付随する諸問題が浮上している。 今後の予定として、2016年に寺岡地区の西隣接地(根白石地区)に第6住区(約148万m)の造成工事着手し、2020年12月に分譲開始を予定している〔きょうの建設情報 - 建設新聞社HP〕〔泉パークタウン 最後の造成工事が2016年始動へ 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「泉パークタウン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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