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泉公衡(いずみ きみひら、生没年不詳)は平安時代末期の武士。泉快衡の子。名を公平ともいう。 == 概要 == 泉氏は信濃国小県郡小泉荘(一条大納言領)を由来とし(異説では同国筑摩郡和泉)〔太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年〕、伊奈氏の一族とされる。『尊卑分脈』では清和源氏満快流で源為公の末裔にあたり、片桐氏と祖を同一とする。 源平合戦では同族・井上氏らと共に源氏方として戦い、鎌倉幕府御家人となる。しかし、幕府が執権北条氏によって牛耳られると、公衡以下生粋の源氏武士たちは反感を抱いた。これを受けて、建暦3年(1213年)公衡の子・親衡は幕府に反旗を翻すが露見し逐電する(泉親衡の乱)。また、同年の和田合戦では同じく子の公信が討ち死にしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「泉公衡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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