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泊瀬王[はつせのおおきみ] 泊瀬王(はつせのおおきみ、? - 推古天皇36年(628年))は、飛鳥時代の皇族。通称「泊瀬仲王」。「長谷王」とも。 == 概要 == 父は厩戸皇子、母は膳部菩岐々美郎女(膳臣傾子女)。厩戸王の第2子。異母兄弟に山背大兄王がおり、同母姉のは山背大兄王妃。 推古天皇の死後、次期王権を巡っての蘇我一族同士の内紛においては義兄の山背大兄王の支持にまわり、蝦夷と対立した境部巨摩理勢を家に匿うなど後ろ盾となった。しかし紛争の決着前に死去。その後摩理勢は擁立に失敗して暗殺されている。 王は斑鳩の地に泊瀬王宮(飽浪葦牆宮 - あくなみのあしがきのみや)を置き、泊瀬部(長谷部)も所有していたと見られている。 『上宮記』に叔母の佐富女王との間に葛城王・多智奴女王をもうけたとある。また、大伴奴加之古連(大伴糠手子)女子古氐古郎女(小手子)との間に波知乃古王・錦代王をもうけたとあるが、これは似た諱の崇峻天皇との混同とされる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「泊瀬王」の詳細全文を読む
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