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泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ、686年以前? - 天平13年3月28日(741年4月18日))は、飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇女で、母は宍人臣大麻呂の娘、かじ媛娘。同母兄弟は忍壁皇子・磯城皇子・同母の妹は託基皇女、夫は川島皇子。 大宝律令施行後は泊瀬部・長谷部内親王とも記述される。持統5年(691年)、川島皇子が死亡した時、万葉集巻2 194-195に柿本人麻呂が献じた歌がある。夫の死後再婚せず、天平9年(737年)2月14日三品に昇進、4年後の天平13年(741年)3月28日に死亡した。 == 血縁 == *父:天武天皇 *母:かじ媛娘(父:宍戸臣大麻呂) *兄:忍壁皇子 *同母弟妹:磯城皇子、託基皇女 *夫:川島皇子 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「泊瀬部皇女」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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