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法政大学学生会館[ほうせいだいがくがくせいかいかん] 法政大学学生会館(ほうせいだいがくがくせいかいかん)とは1973年から2004年まで法政大学市ヶ谷キャンパスに存在した施設の名称。 == 施設概要 == 施設には各サークル活動の部室が置かれており、学生が自主的に管理する建物とされていた。また左翼活動の拠点となっている場所でもあった。だが2001年ごろからボヤが続き、2004年に空手部の部室から漏電が原因で発生した火災を期に学生会館は立ち入りが禁止となってしまった。立ち入り禁止の間も学生団体は学生会館の使用再開に向けて活動していた。だが学生会館の使用再開は実現せず、同年の7月に行われた全学説明会で学生会館は解体すると発表された。それまでにも大学側は学生会館の取り壊しを検討していたものの、左翼からの報復を恐れて実現できずにいた。だが当時の清成忠男は、その時の左翼団体にはそれほどの勢力は持っていないと判断して、学生会館取り壊しを決断してそして実現させた。左翼活動の拠点ではあったが、そこで活動していたのはほとんどが法政大学の学生ではなかったとのこと。キャンパス全面禁煙は学生会館からタバコの火が原因で火災が発生したことを機会として大学側に実施されたことである〔〕。 この建物は法政大学文化連盟などの左翼団体による闘争の末、学生による自治が実現したという建物であった。詳細は法政大学文化連盟#学館(学生会館)闘争を参照。 学生会館の跡地は外濠校舎という名称の建物となっており、教室や講堂やコンビニエンスストアーなどが入っており、そこには学生会館時代のような学生自治は存在していない。サークルの部室は、地下に置かれている長期会議室という名称の全面ガラス張りの部屋を複数のサークルで共用するという形になっている〔〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「法政大学学生会館」の詳細全文を読む
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