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法政大学第三中・高等学校 : ウィキペディア日本語版 | 法政大学第三中・高等学校[ほうせいだいがく だいさんちゅう こうとうがっこう] 法政大学第三中・高等学校(ほうせいだいがく だいさんちゅう・こうとうがっこう)は、かつて茨城県石岡市半ノ木に所在した私立中学校・高等学校。 ==前史== 財団法人大日本飛行協会が、昭和16年(1941年)に創設した大日本飛行協会中央滑空訓練所が本校の前身的存在である。戦時色の濃くなる中、航空兵を養成する学校として作られた。昭和19年(1944年)には専門学校令に基づき大日本滑空工業専門学校(設置者・財団法人大日本滑空工業専門学校)に改組されたが、敗戦により状況が一変、昭和20年(1945年)10月に筑波工業専門学校に改称し、設置者名を筑波学園に改め、軍関係者を除いての再出発を図り、翌年には筑波中学校(旧制)を併設した〔法政大学戦後五〇年史編纂委員会(2004a)、p. 73 - 75〕。 しかし学校の立地自体が悪いことや、終戦直後の物資不足による施設の不備、生徒の確保が十分に行えないことなどが原因で筑波学園は経営が悪化する。一方で東京の法政大学は戦災のため校舎の確保に悩んでいたところであり、両学園の理事を務めていた中野勝義の発案により、両者が合併することとなった〔。財団法人筑波学園が昭和23年(1948年)3月に財団法人法政大学へ吸収合併されると〔法政大学戦後五〇年史編纂委員会(2004b)、p. 7〕、石岡の校地には法政大学予科石岡分校(昭和24年(1949年)に教養部石岡分校に改組)が設立され、入れ替わるように筑波工専は在学生を法政大学工業専門学校(現・法政大学工学部)に転籍させ、昭和24年(1949年)3月をもって廃校となった〔〔法政大学戦後五〇年史編纂委員会(2004b)、p. 9〕。
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