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波多野伝三郎[はたの でんざぶろう]
波多野 伝三郎(はたの でんざぶろう、1856年9月20日(安政3年8月22日)- 1907年(明治40年)2月13日〔『朝日日本歴史人物事典』1324頁。〕)は、明治期の政治家、教育者。衆議院議員、官選福井県知事。旧姓・前田。 ==経歴== 越後長岡藩士・前田茂左衛門の息子として生まれ、明治2年(1869年)、波多野影雲の養子となる〔『新編日本の歴代知事』470頁。〕。1874年に上京し、尺振八の共立学舎で学び、その後、同教授、舎長を務めた〔〔〔。1879年、嚶鳴社に加入。1880年、文部省に出仕。1881年、退官して『東京横浜毎日新聞』に入社し1886年まで在社〔。 1882年、立憲改進党の結党に加わり、その後もその立場を守った。1888年、新潟県会議員に当選〔。1891年5月、第1回衆議院議員総選挙・新潟県第五区の補欠で当選。以後、第2回、第4回、第5回、第9回総選挙で当選し、衆議院議員を通算五期務めた〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』498頁。〕。 1897年4月、第2次松方内閣により福井県知事に登用された。自由党の勢力が強い福井県会と対立し、波多野が消極的であった治水対策について、県会は波多野の不信任案を意味する「治水に関する建議案」を可決した〔。波多野は県会を解散したが〔、1897年11月13日、依願免本官となり退官した〔『官報』第4313号、明治30年11月15日。〕。 その他、宝田石油会社監査役、南北石油会社監査役、国有共同販売所監査役を務めた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「波多野伝三郎」の詳細全文を読む
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