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波多野義重 : ウィキペディア日本語版
波多野義重[はたの よししげ]

波多野 義重(はたの よししげ)は、鎌倉時代中期の武将。波多野氏の一族。父は波多野忠綱(忠経とも)。初名を宣政といった。北条重時の娘を妻とし、重時の被官として活躍した。
== 略歴 ==
波多野氏は相模国波多野荘(現神奈川県秦野市)を本拠としており、南波多野荘が重時の所領となった事からその被官となったと見られる。
承久3年(1221年)の承久の乱では、右目に矢を受けながらも敵に矢を射返して奮戦した。重時やその子長時時茂六波羅探題を務めた時期には六波羅評定衆として彼らを補佐した。京都新日吉神宮の小五月会では流鏑馬を担当している。
宝治元年(1247年)11月、鶴岡八幡宮放生会で随兵を務めた際、同じく随兵を担当した三浦盛時と序列を巡って諍いを起こしている。
義重は日本曹洞宗の開祖道元と早くから親交があり、深く帰依してその活動を援助し、地頭として所領を持っていた越前国志比荘に招聘し、土地を寄進して永平寺の建立に貢献した。現在、彼の子孫は曹洞宗の檀家筆頭に位置づけられている。また永平寺仏殿内に、波多野義重像が祀られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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