|
波浪島(ぱらんとう)またはパラン島〔外務省: 6.サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い 〕(パランとう、パランド、、)は、韓国が日本海にあると主張した島、もしくは東シナ海にある暗礁である。 == 歴史 == * 1951年4月頃 - 兪鎮午の回想によれば、歴史学者の崔南善に韓国領土として確定しておくべき島嶼について諮問、木浦と長崎と上海を結ぶ三角形の中心(東シナ海北部)に、波の中に沈んだり現われたりする「パラン島」があると回答を得たという〔兪鎮午『韓日会談が開かれるまで』(1966年)〕。 * 1951年7月19日 - 梁裕燦韓国大使が、ジョン・フォスター・ダレスとサンフランシスコ平和条約の草案について会談し、それまでの対馬への主張をやめて、「独島」「パラン島」への主張を含む国務長官宛の書簡を提出。ダレスに位置を尋ねられ、韓豹頊は「日本海にありだいたい鬱陵島の近く」と発言。 * 1951年8月 - 韓国山岳会と韓国海軍は日本海軍水路部発行の海図を使って済州島西南方180kmを探査したが発見できず〔1974年5月23日付『東亜日報』によれば、それは海図に「SCOTRA ROCK」という暗礁として表示され、北緯33度10分東経120度に位置し、済州西南方180キロメートルであり、木浦から290キロ メートル、長崎から450キロメートル、上海から320キロメートルの海上にあった。〕。また国務省の地理学者サミュエル・W・ボッグスによるアメリカの事務報告でも「確認できない」とされた。 * 1951年8月10日 - 米国務省はラスク書簡で、「パラン島」について「取り下げられたものと理解」すると回答。 * 1984年 - 済州大学が、中国名「蘇岩礁」を探査し「波浪島」とする。 * 2001年1月26日 - 韓国地質学会が波浪島を「離於島」とする。 * 2006年12月29日 - 韓国海洋水産部が、中国名「丁岩礁」を「波浪礁」とする。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「波浪島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|