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泥利可汗(呉音:ないりかがん、漢音:でいりかがん、拼音:Nílìkĕhàn、生没年不詳)は、西突厥の可汗。鞅素特勤の子で、木杆可汗の孫〔『昭蘇県石人碑文』「26年後にムカン・カガン(木杆可汗)の孫、神なるニリ・カガン(泥利可汗)…」より。〕。泥利可汗(ニリ・カガン)というのは称号で、姓は阿史那氏で、名は不明。 == 生涯 == 587年、阿波可汗が葉護可汗に捕えられたので、西突厥の国人は鞅素特勤の子を立てて、これを泥利可汗とした。 大義公主は泥利可汗と連結した。 601年、泥利可汗と葉護は鉄勒に敗北した。歩迦可汗はまた隋に対し反乱を起こしたが、敗北して吐谷渾に奔走した。 泥利可汗はまた敗北し、戦死すると、子の達漫が立ち、泥撅処羅可汗と号した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「泥利可汗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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