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泰葉(やすは、1961年1月17日 - )は、東京都出身のシンガーソングライター、タレント、プロデューサー。血液型A型。初代林家三平の娘。春風亭小朝の元妻。本名:海老名 泰葉(えびな やすは)。 所属事務所は、小澤音楽事務所→レッドバス・エンタープライズ(結婚による芸能界引退まで)→アイアン・キャンドル→ねぎし事務所(亡父の事務所で実母が代表者)→株式会社FISEMAN→ねぎし事務所。結婚引退中は、夫小朝の事務所「春々堂」の社長だった。 ==来歴・人物== 父は落語家の初代林家三平。母は海老名香葉子。伯父は釣竿職人の中根喜三郎(母・香葉子の兄)、祖父に7代目林家正蔵、実姉に海老名美どり、実弟に9代目林家正蔵と2代目林家三平、義兄に峰竜太、義妹に国分佐智子、甥に下嶋兄がいる。 幼少のころからクラシックを学ぶ。東京都立芸術高等学校卒業。音大進学の失敗を機にクラシックから転向し、ジャズやポピュラー歌手を志す。1981年に『フライディ・チャイナタウン』でシンガーソングライターとしてデビュー。また、アーティストへの楽曲提供も行い、『夏のRELIFE』(松本伊代)、『YES、IT'S MY HEART』(少女隊)『目黒の実家に帰ります』(五十嵐祐子)などを残した。タレントとしては『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)初代アシスタント司会を務めるなどした。 その後、春風亭小朝と婚約し、1988年4月に小朝の援助を受けて桐朋学園大学音楽学部に入学、同年6月に結婚した。しかし、自身は芸能界を引退し、小朝の事務所「春々堂」の社長として小朝のマネージメントを務め始めた。 引退で当然のように表舞台から姿を消したが、2004年の林家正蔵襲名記念披露パーティーの企画に携わるなど落語界で裏方的な活動をこなしており、時々テレビに映ることはあった。 2007年11月に帝国ホテルの宴会場で小朝と離婚という形で記者会見を開き、久々に公の前に姿を見せることになった。この会見では結婚などめでたい時に使う金屏風を会見場に立てており、しきたりに反すると同時に芸能界でも前例のないパフォーマンス・演出により、一躍ワイドショーで格好の話題を提供することになった。当初は「社長業と主婦業の両立が出来ない」という理由で「円満離婚」を強調していた。慰謝料は1億5千万円で、泰葉は「安い」と不平を漏らしている。これを機にアイアン・キャンドルを立ち上げるなど芸能界へ本格復帰(エピソードで後述)し、アメブロ上に公式ブログを開設した。2008年に夫婦生活や離婚の経緯などを綴った著書『開運離婚』を出版。父・三平の半生を描いたドキュメンタリー映画を製作するとあったが既に2010年時点で進展が無くなっている。 2008年大晦日に有明コロシアムで行われるハッスル・マニア2008の電撃会見を行い、プロレスのリングに於いてフランク・シナトラが360度観客に囲まれて歌を歌ったように、プロレスのリングで歌を歌う「ファイティング・オペラハッスル」として参戦することを公言した。しかしそこに、ハッスルの支配者高田総統が現れ、歌を歌いたければリング上で戦い勝つことを条件として課せられ、強制的にプロレスラーとなってしまった。試合は12月30日に行われ、大晦日のゴールデンタイムに放映され、『NHK紅白歌合戦』とも戦うこととなった。本番試合では対戦相手アン・ジョー司令長官に対し7分10秒で勝利した(決め技は『回転“海老名”固め』)。 2009年には自作新曲で歌手再デビューを果たし、ライブハウスでのショーやCDのインストアライブに幾つか出演する傍ら、川嶋あいら『つばさアーティスト』の一員としてライブ「つばさ祭」にも出演した。しかし、2010年4月に予定していたミュージックラウンジでのライブ出演が中止となり、所属マネージメント会社をファイズマンへ移籍。同年8月の神宮外苑花火大会への登壇を以て歌手活動を休止し充電期間に入る。休業期間中もブログの更新は続けていた。 2011年5月8日に実弟の林家三平 (2代目)、義妹に当たる国分佐智子、母(香葉子)と共に東日本大震災の被災地である岩手県大船渡市を慰問〔泰葉、国分と初対面「私たち美人姉妹!?」 MSN産経ニュース 2011年5月9日〕。また、同年10月に催された三平と国分の結婚披露宴に出席し、マスコミ取材では「弟やったぜ!」「来年アーティスト活動を(再開)しますので」と発言していた〔三平の結婚式に姉・泰葉「弟は親孝行」 -OliconEltha〕が進展はなく、2013年7月にねぎし事務所への再所属と歌手活動再開を発表。ライブ活動とディナーショーの開催を予定している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「泰葉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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