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津波古政正 : ウィキペディア日本語版
津波古政正[つはこ せいせい]

津波古 政正(つはこ せいせい、1816年–1877年),東氏津波古殿内の十三世。唐名は東国興、童名は樽金。
==生涯==

1816年、首里に生まれた。
1840年に北京の国土監で八年間修学、儒学者・孫衣言に師事した。帰国後は国学講談師匠、尚泰王の侍講官を務めた。琉球王国末期を代表する知識人の1人で、理知的でバランス感覚を持つ政治家として知られる。
津波古親方政正が在東京使者として東京に駐在中の明治8(1875)年、琉球から東京へ出向いた池城安規(三司官)、与那原良傑(東京使者)、幸地朝常(鎖之側)らに対し、明治政府が、清国との関係断絶命令などを伝えた際の交渉に立ち会っている。
明治政府による琉球処分(沖縄県設置)の動きをめぐって、琉球王国内部が紛糾した際も、常に冷静な判断を下すよう、尚泰王へ「自ら進んで版籍奉還する事が国益である」と意見具申したが、激動の渦中で死去(1877年)したため、その資質は十分に生かされなかった。津波古親方政正は、本土で廃藩置県が実施されると、直ちに視察員を他藩へ派遣して、その状況を調査させた。その上で、沖縄も自ら進んで版籍奉還を済ませて日本に合流すべきと主張したという。
当時の内務省出張所の吏員であった河原田盛美著書の「琉球紀行」によると、津波古親方政正は王府の知的顧問として、漢学を排して洋学を学び、特に今後は理化学を身につけねばならぬことを強調し、中国当路に人物のないことを慨嘆したという。
と、津波古親方政正の言行が残されている。
牧志恩河事件の時、 無実の罪に酷刑をもって報いようとした王府主流の主張を退けて、尚泰王に穏便な裁定を行わせたのが、津波古親方政正だった。また、琉球処分の際、亀川親方盛武を中心とする久米村士族の猛反対を押し切って、尚泰王版籍奉還の決意を促したのも津波古親方政正を中心とする王側仕たちだったと伝えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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