翻訳と辞書
Words near each other
・ 津田松苗
・ 津田梅子
・ 津田正俊
・ 津田正信
・ 津田正勝
・ 津田正夫
・ 津田正夫 (社会学者)
・ 津田正忠
・ 津田正方
・ 津田正昭
津田正生
・ 津田正盛
・ 津田正直
・ 津田正真
・ 津田正矩
・ 津田正臣
・ 津田正行
・ 津田正路
・ 津田正邦
・ 津田武永


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

津田正生 : ウィキペディア日本語版
津田正生

津田正生(つだ まさなり、安永5年(1776年4月 - 嘉永5年10月21日1852年12月2日)〔「尾張國地名考ノ著者津田正生先生の小傳」『尾張國地名考』愛知縣海部郡教育會、1916年(愛知県郷土資料刊行会復刻刊行、1970年)、ページ番号なし〕)は、尾張国海東郡根高村(現愛知県愛西市根高町)の学者(地誌家、郷土史家)。通称として神助(三輪助〔「尾張國地名考ノ著者津田正生先生の小傳」『尾張國地名考』愛知縣海部郡教育會、1916年(愛知県郷土資料刊行会復刻刊行、1970年)、ページ番号なし〕)がある。号は六合庵(主)。
== 人物 ==
生家は酒屋である。恩田仲任鈴木朖に教えを受ける。津島街道(上街道)沿いに「六合庵」と称する茶席を設置し、旅人を湯茶により歓待し、各地の情報を得ていたとされる。
墓所は釜地蔵寺(根高町)内にある。また、住居跡碑が釜地蔵寺前の民家の庭先に置かれている。嫡男津田穂積(水穂部穂積)は国学者で、橘守部の高弟。〔田島仲康「上梓のことば」津田正生『尾張神名帳集説本之訂考』尾張大国霊神社翻刻、1978年、ページ番号なし〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「津田正生」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.