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津軽 著教(つがる あきのり、1721年(享保6年) - 1745年2月15日(延享2年1月15日))は、津軽家一門の人物。弘前藩第5代藩主・津軽信寿の四男。幼名は豊次郎、通称は内記。 父の死後、1744年(延享元年)8月2日に甥(長兄・信興の子)の信著が藩主に就任。この日に彼から3000俵が分与され、また偏諱を受けて「著教」と名乗った。しかし、翌年になって死去、3000俵は返還された。 == 参考文献 == *『寛政重修諸家譜』第12巻 *『青森県史』第2巻 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「津軽著教」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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