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津雲貝塚(つくもかいづか)とは、岡山県笠岡市西大島に所在する縄文時代晩期の貝塚遺跡。国史跡。 == 概要 == 1867年(慶応3年)ごろ工事途中で遺物が発見されている。1915年(大正4年)鳥居龍蔵により発掘調査されたのが最初である。以後多くの研究者が人骨を目当てに発掘調査している。厚さ30センチあまりの貝塚層〔貝塚はおよそ50メートル四方と推定されている。遺跡はさらに広がっている。層位は表土下約20センチメートルで黒色土層さらに約15センチメートルで貝層となる。貝層は厚さ30センチメートル余り。〕から170体あまりの縄文人の人骨が発掘されたことで、全国に名を轟かせた。 現在でも、一部の教科書等に掲載されている。発掘当時から現在も所有者の畑となっている。 人骨はほとんど仰臥屈葬である〔人骨は貝層中から見つかっている。伸展葬はわずかである。頭位は東から北東に向けるものが多い。〕。ほとんどが抜歯が認められる。少数ながら貝輪や腰飾り、鹿角製耳飾りの成人骨で、石製首飾りをしている小児骨もある。 出土遺物は、縄文土器・石鏃(せきぞく)・削器(さっき)・石錘(せきすい)・土偶・土板・鹿角製釣糸である。 年代を決める縄文土器は、早期から晩期までのものがあるが、主体は後期・晩期である〔瀬戸内地域の標識土器となっている後期中葉の津雲A式が出土している。〕。 この発掘には、京都帝国大学(現在の京都大学)文学部助教授医学博士 清野謙次などが関わっている。 発掘された資料は、京都大学、笠岡市立郷土館 、個人宅に所蔵されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「津雲貝塚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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