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浄法寺城(じょうほうじじょう)は、岩手県二戸市浄法寺町八幡館に所在した日本の城。別称 小幡館。 東に安比川が流れ、城跡は4つの郭からなり、東西350m、南北500m。主郭の八幡館の北東隅には八幡宮を祀り、大館、親城館の2郭は八幡館の西側に位置し、北は急な崖で、南に広い堀をめぐらせていたとみられる。 現在、濠と平坦地を若干残すのみである。 == 歴史 == 築城時期は不明。浄法寺氏の居城で、陸奥国二戸郡浄法寺村に所在した。 天正20年6月、「諸城破却令」の書上には「浄法寺 山城 畠山 修理 持分」とあり破却はまのがれた。 ついで、慶長6年(1601年)、岩崎一揆において岩崎陣に参加したさい、浄法寺重好の不首尾があったため領知は没収され浄法寺氏宗家は廃絶した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浄法寺城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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