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浅利昌種 : ウィキペディア日本語版
浅利昌種[あさり まさたね]
浅利 昌種(あさり まさたね、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将甲斐浅利氏当主。甲斐武田氏の家臣。浅利信種嫡男。幼名・通称は彦次郎。は昌種のほか、武田勝頼より1字を賜って名乗ったとみられる勝在(かつあり、「在」は祖父・虎在の1字)が伝わっている。
== 生涯 ==
永禄12年(1569年)の三増峠の戦いで父・信種が討ち死にしたため、跡を継ぎ侍大将となるが、故あって父の被官・同心のうち半数の60騎のみを継いだ(残りは土屋昌続の被官・同心となった)。後に昌続が長篠の戦いで戦死してからはその半数60騎も引継ぎ120騎持ちとなる。
天正9年(1582年)の武田氏滅亡後は徳川氏に仕え、本多忠勝に配される。この頃の様子を徳川家臣の本多重次が「武田家中で尊敬されていた浅利殿が今では本多忠勝の配下となり、松下一党や向坂一党の下座にへつらい居るのを常々みかけ哀れに思う」という意味の発言を残している。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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