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浅岡 朝泰(あさおか ともやす、1962年4月6日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(右ウイング)、MF(右ウイングバック)、DF(右サイドバック)。 == 略歴 == 筑波大学卒業後、1985年より日本サッカーリーグ1部の日本鋼管サッカー部に入部。俊足を活かしたドリブル突破と正確なセンタリングが持味で、そのシーズンに新人ながらアシスト王を獲得した。 1985年から1987年シーズンまで3年連続リーグ戦2位、1986年度に天皇杯全日本サッカー選手権大会準優勝、1987年にJSLカップを制覇し、同サッカー部の躍進に貢献した。また日本代表にも選出され、ソウルオリンピック予選など8試合に出場した〔。 1988年、サッカー日本代表に右ウイングバックとして選出され、同年にはブンデス・リーガ入りが報道されたが、読売サッカークラブへ移籍。同チームでは、フォワード、右サイドバックとして活躍した。1992年に右足靱帯断裂の怪我を負い〔、1993年に現役を引退した〔「元日本代表・浅岡さん「サッカー研究し貢献したい」 岐阜大大学院に入学」 読売新聞, 2009年4月8日, 2014年9月11日閲覧〕。 2003年より帝京大学可児高校サッカー部の総監督に就任した〔が、2004年に大腸癌が見つかり2007年まで闘病生活を送った〔。2007年より大阪商業大学大学院、2009年より岐阜大学大学院博士課程にそれぞれ進学した〔。2009年にはFC堺の監督を務めた。 2012年7月現在、ヴィズミックモデルエージェンシー(名古屋事業部)FC disport(名古屋市、愛知郡周辺にてスクール展開)に所属している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅岡朝泰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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