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浅水城 : ウィキペディア日本語版
浅水城[あさみずじょう]

浅水城(あさみずじょう)は青森県三戸郡五戸町に所在した日本の城。四戸城の候補地。
浅水川左岸の丘陵に位置〔(地図閲覧システム) 国土地理院 〕し、郭は本郭、二の郭、三の郭からなる。浅水川を挟んだ対岸には浅水館、工藤屋敷と呼ばれる城館があった。
== 沿革 ==
築城時期は不明。
初め四戸氏がいたと推測される(またはこの地に入部したことから四戸姓を名乗ったとも)。一時、謀反を起こした工藤氏の一族の居城となるが天文153255年)年間に南部氏との抗争に敗れ、その後、戦国期には三戸南部氏の支配下となった。
* 三戸南部22代政康の三男長義は五戸と浅水を知行して浅水氏と名乗ったが、三戸城の南側に屋敷があったため、南殿と称された(現地案内標識〔設置者林野庁・青森県〕にはこのころ永正年中1504~1520年の築城と記載)。永禄年間155870年の南部一族内訌のさい、信直派に属し反晴政派となったため、南部晴政の攻撃をうけた。
* 南氏3代盛義のころ、天正19年(1591年九戸政実の乱において、櫛引氏の攻撃を受けたがこれを撃退し敗走させるが、櫛引氏を深追いした盛義は法師岡館付近で壊滅、討死した。その後は弟の直義が継ぐ。
* 寛永年間(1631年)に南氏5代南部利康(南部宗家より養子として入城)が24歳にて没し、廃城となった〔現地の案内標識による。設置者林野庁・青森県〕とされる。
現在(2015年記述)は八幡宮となっており、参道は途中分岐し寶福寺に続く。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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