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浅羽 金三郎(あさば きんざぶろう、1861年11月20日(文久元年10月18日)〔『海軍兵学校出身者戦死者芳影録』88頁〕 - 1904年9月18日)は、静岡県出身の大日本帝国海軍軍人。 == 経歴 == 浅羽幸勝の次男で、1874年7月に海軍兵学校幼年科へ入学した。1883年10月に海軍兵学校(10期)を卒業後、海軍少尉試補を命ぜられ、その後に累進して海軍中佐まで昇進する。1904年に日露戦争が勃発すると、「平遠」の艦長として第二軍の上陸援護、旅順港閉塞作戦などの任務に当たる。同年9月18日に特別任務を帯びて出勤中、双島湾外で「平遠」が触雷・沈没し、戦死した。1911年、戦功によって海軍大佐に昇進し、功三級に叙せられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅羽金三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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