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浅草松竹演芸場(あさくさしょうちくえんげいじょう)は、東京浅草の通称「公園六区」と呼ばれた歓楽街に存在していた演芸場。松竹直営。落語定席ではなく、軽演劇と色物芸人(落語家以外の演芸人の通称)主体の興行を行っていた。 ==沿革== *1944年5月1日 映画館・浅草松竹館を改装し、演芸場としてスタート。 *:戦時統制下、映画系列は松竹・東宝・大映の3社に集約されていたが、更に紅白二系統に纏められ、多くの映画館が不要不急の遊休施設と化した。このため休廃館が相次いだが、松竹はこうした都内直営映画館の有効活用を図るべく、数館を演芸場に転換した。 *同時に開館した「松竹演芸場」 *銀座金春演芸場 東京西銀座の金春映画劇場を演芸場に転換。開場番組は落語芸術協会系が出演。戦災で焼失。 *池袋松竹演芸場 色物主体。戦災で焼失。 *五反田松竹演芸場 楽曲主体。戦災で焼失。 *新宿松竹館 色物主体。1945年4月より軽演劇主体。1946年3月映画館に復帰。松竹の手を離れ、新宿大映・新宿ロマン劇場を経て1989年1月に閉館。現在コメ兵新宿店の場所。 *戦後、上記各館が廃座または映画館に復帰する中で、浅草松竹演芸場だけは軽演劇を中心とした興行を継続。 *1960年代の演芸ブームで、興行主体が色物(特に漫才とコント)中心となる。 *1973年、デン助劇団の公演が終了。 *1983年11月10日、閉鎖。現在は浅草ROXビル本館敷地の一角。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅草松竹演芸場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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