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浅見 道西(あさみ どうせい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。実名は不明。浅井氏の家臣。 浅見氏は近江の国人、浅井氏と共に近江守護京極氏の被官であったが、浅井氏の台頭以降はその勢力下に組み込まれた。山本山城の浅見氏の一族であろうとされているが関係は不明。 父・浅見対馬守貞則は浅井亮政と共に京極高清の嫡男・高延を後継者に推し高清と対立。貞則と亮政は主君高清、次男である高吉、高吉を推す上坂信光を尾張へと追放した。道西は天正元年(1573年)の浅井氏滅亡時(小谷城の戦い)、織田氏に通じて離反するが所領を没収された。後に柴田勝家に仕え、賤ヶ岳の戦いにも参加している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅見道西」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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