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浅野部隊
浅野部隊(あさのぶたい)は、満州国軍にあった白系ロシア人部隊の通称。関東軍の指導を受け、対ソビエト連邦の諜報・破壊工作を目的に編成された。通称名は初代部隊長浅野節(あさの まこと)にちなむ。 == 背景 == 1917年のロシア革命とそれに続くロシア内戦により本国を離れ、満州国内に居住していた白系ロシア人(白系露人)は約7万人であった。その居住分布は ハルビン近郊に約3万人、ハイラル周辺に約2万人、牡丹江周辺に約1万人となっていた。関東軍のハルビン特務機関は対ソ連情報活動や、有事の際に利用できるようにするためにも白系ロシア人を統一把握したいと考え、1934年に白系露人事務局を設立しその内面指導をおこなっていた〔西原(1980年)、201-202頁。〕〔西原(1980年)、206-207頁。〕。 また、関東軍の対ソ作戦計画の基本は「西(北)守・東攻」〔日ソ開戦場合に西(北)方面では一部兵力で持久し、東正面において日本軍主力で攻勢をとり沿海州のソ連軍を無力化、その後西(北)方面に兵力を移しソ連軍主力と大持久戦を行うという計画。〕であり、北正面においてシベリア鉄道が満ソ国境近くを走行しているという戦力的弱点に乗じ、ゲリラ戦による鉄道破壊などの威力謀略が研究されていた。そして、そのトンネル・鉄橋等を目標とした鉄道破壊には、白系ロシア人を含む謀略部隊を平素から訓練しておく必要があると考えられていた〔西原(1980年)、172-173頁。〕。 1936年末頃、関東軍第2課長(情報)河辺虎四郎大佐の発想により、白系ロシア人部隊の編成構想が具体化され、第2課山岡道武参謀とハルビン特務機関小野打寛少佐が部隊の創設業務を担当した〔西原(1980年)、178-179頁。〕。要員はザバイカル・コサック移民部落のある興安北省三河地方の一般軍事教育を終了した青年を中心として、その他ハルビン市民や旧東清鉄道南部の住民、脱走ソ連兵も少数含まれた〔牧南(2004年)、73頁。〕。(松花江部隊、後述)
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