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浅野長政 : ウィキペディア日本語版
浅野長政[あさのながまさ]

浅野 長政(あさの ながまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将大名豊臣政権五奉行筆頭。常陸真壁藩主。
長政は晩年の改名で、初名の長吉(ながよし)を名乗っていた時期が長い。(長政に改名するのは秀吉死後)
== 生涯 ==

=== 家督相続から織田家臣へ ===
尾張国春日井郡北野(現在の愛知県北名古屋市)に宮後城主・安井重継の子として生まれる。織田信長の弓衆をしていた叔父・浅野長勝に男子がなかったため、長勝の娘・やや(彌々)の婿養子として浅野家に迎えられ、のちに家督を相続した。同じく長勝の養女となっていたねね(寧々、のちの北政所、高台院)〔通説ではややとねね(高台院)は実姉妹でともに浅野家の養女になっていたと考えられてきたが、ねねの実家・木下家の系図にややに関する記述がまったく無いことから、ややは長勝の実娘だったのではないかという説もある。〕が木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に嫁いだことから、長吉は秀吉にもっとも近い姻戚として、信長の命で秀吉の与力となる。
天正元年(1573年)、浅井長政攻めで活躍し、秀吉が小谷城主(のちに長浜城主)となると近江国内に120石を与えられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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