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濱口梧陵[はまぐち ごりょう]

濱口 梧陵(はまぐち ごりょう、文政3年6月15日1820年7月24日) - 1885年明治18年)4月21日)は、紀伊国広村(現・和歌山県有田郡広川町)出身の実業家・社会事業家・政治家梧陵雅号で、公輿成則
醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、七代目濱口儀兵衛を名乗った。津波から村人を救った物語『稲むらの火』のモデルとしても知られる(後述)。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
紀州湯浅醤油商人である濱口分家・七右衛門の長男として生まれる。12歳で本家(濱口儀兵衛家)の養子となって、銚子に移る。
その後、若くして江戸に上って見聞を広め、開国論者となった。海外留学を志願するが、開国直前の江戸幕府の受け容れるところとならず、30歳で帰郷して事業を行った。嘉永5年(1852年)、同業の濱口吉右衛門(東江)・岩崎重次郎(明岳)とともに広村に稽古場「耐久舎」(現在の和歌山県立耐久高等学校)を開設して後進の育成を図った。嘉永7年(1854年)頃、七代目濱口儀兵衛を相続する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Goryo Hamaguchi 」があります。



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