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濱口内閣[はまぐちないかく]
== 概要 == 立憲民政党を中心とする政党内閣だが、一方で貴族院の親民政党議員を多く入閣させたところに特色がある。 外務大臣には外務省から幣原喜重郎を起用し、その協調外交は幣原外交と呼ばれた。また財界から信任のある井上準之助蔵相を起用して金解禁、緊縮政策、産業合理化を断行した。また政友会の反対を排除してロンドン海軍軍縮条約を結んだ。これらが右翼からの反感を買い、1930年(昭和5年)11月に濱口首相が東京駅構内にて右翼団体愛国社党員の佐郷屋留雄に銃撃されて執務不能となると、慣例により閣僚の中で宮中席次が最も高かった幣原が内閣総理大臣臨時代理を務めた。しかし幣原は民政党員でない上に臨時代理が長期に及んだこと(結果的に最長不倒記録の116日)などから、その失言をきっかけとして野党政友会からの激しい攻撃を受けることになり、加療入院中の濱口が杖を突きながら復帰することとなったが、病状の悪化により総辞職した。その4か月後に濱口は死去した。 濱口は、初の明治生れ、高知県(土佐藩)出身の総理大臣である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「濱口内閣」の詳細全文を読む
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