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浜地文平 : ウィキペディア日本語版
浜地文平[はまち ぶんぺい]

浜地 文平(はまち ぶんぺい、明治26年(1893年2月22日 - 昭和61年(1986年6月21日)は、昭和期の日本政治家衆議院議員(当選8回)、皇學館大学理事長(第3代)などを務めた。三重県度会郡吉津村(現・南伊勢町)出身。
== 来歴・人物 ==
伊勢の名門の出。三重県師範学校を卒業。その後、郷里の吉津小学校の教壇に立っていた。戦前からの政治家で戦前派代議士であった。30歳で吉津村長に就任、その後大湊町長を経て三重県議会議員を4期務める。昭和12年(1937年)の第20回衆議院議員総選挙三重県第2区から立憲政友会公認で立候補して初当選〔第20回衆議院議員選挙 - 三重2区 - 株式会社VoiceJapan が運営する選挙政治の総合サイト・ザ・選挙 内のページ。〕、その後通算8回総選挙に当選した。衆議院予算委員会委員・運輸政務次官・災害対策特別委員長・衆議院懲罰委員長・自由民主党総務委員長・地方行政絵委員長・自由民主党財務委員・衆議院農林水産委員長などの要職を歴任。水産業界に造詣が深く水産団体(日本漁業連合会長及び日本漁船保険協会理事長)などの重要な役職についている水産族で、又保守的な文教族として鳴らした。古武士的な大日本帝国期の明治時代生まれの男で、地主的な風格を持っていた。趣味も多彩で書道随筆・短歌専門で短歌は蛍句と号し歌集「つゆ草」があり、「人生行旅」の著作がある。戦後公職追放期間中を除き長く議員の職にあり、昭和41年(1966年勲一等瑞宝章を受章。これを機に、当時三重県議会議員だった藤波孝生を後継に指名し、政界を引退した。また、神道に造詣が深く、昭和55年(1980年)に井野碩哉の後を受けて皇學館大学理事長に就任し、昭和57年(1982年)まで務めた。昭和61年(1986年)6月21日、93歳にて死亡。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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