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浜寺町(はまでらちょう)は、かつて大阪府にあった町である。現在の大阪府堺市西区の一部に相当する。堺市編入後も名称を廃止せず、「浜寺○○町」といった地名になっている。 == 歴史 == 浜寺の名称は、14世紀中頃(正平年間)に三光国師が建立した大雄寺〔現在の南海高師浜線伽羅橋駅の辺りにあったが応仁の乱により焼失。伽羅橋駅前に碑がある。また、浜寺諏訪森町中2丁に「三光橋」、「三光会館」と三光国師に由来するものが残っている。〕が南朝の拠点のひとつとなり、吉野山日雄寺の山寺に対して「浜寺」と呼ばれたことに由来する。現在は堺市の地域名として定着しているが、本来的には高石市の羽衣なども含む広域地名であるため、高石市域にも浜寺郵便局や浜寺病院など「浜寺」を冠した施設があり、浜寺公園も両市に跨っている。 * 1875年(明治8年) 大鳥郡東下村、西下村、山内下村が合併して、大鳥郡下村となる。 * 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、大鳥郡下石津村、船尾村、下村が合併して、大鳥郡浜寺村が発足。大字下石津に村役場を設置。 * 1896年(明治29年)4月1日 郡の統合により泉北郡に属する。 * 1908年(明治41年) 村役場を大字船尾に移転。 * 1914年(大正3年)4月1日 町制を施行して泉北郡浜寺町となる。 * 1942年(昭和17年)7月1日 泉北郡鳳町、踞尾村、八田荘村、深井村、東百舌鳥村と共に堺市に編入される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浜寺町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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