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浜田卓二郎 : ウィキペディア日本語版
浜田卓二郎[はまだ たくじろう]

浜田 卓二郎(はまだ たくじろう 1941年10月5日 - )は、日本政治家弁護士衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)を務めた。
実業家エッセイストで、植竹春彦元参議院議員の姪にあたる浜田マキ子は妻。元衆議院議員の植竹繁雄は従兄にあたる。
== 略歴 ==
鹿児島県出身。父は警察官神奈川県横須賀市に転居し、栄光学園中高等学校東京大学法学部卒業。東大在学中の1964年国家公務員採用上級職甲種試験司法試験に合格。1965年に東京大学法学部を卒業し、大蔵省に入省した。同期に薄井信明榊原英資竹島一彦東力らがいる。同年、結婚。
大蔵省では官房文書課に配属され、主計局主査(公共事業担当)を務めるなど将来を嘱望されたが、1977年に退官。1979年第35回衆議院議員総選挙自由民主党公認で地縁のない旧埼玉1区から立候補したが、次点で落選。1980年第36回衆議院議員総選挙に再び旧埼玉1区から出馬し、初当選を果たした。当選後は宏池会に所属。
大蔵官僚出身のため党内では税制財政の政策通で知られた。1988年消費税導入に際しては新税制を国民に説明するスポークスマンの役割を務める。1991年、妻の浜田マキ子東京都知事選挙に突如出馬したが、鈴木俊一東京都知事らに敗れ、落選。消費税導入に際し、討論番組に数多く出演したために全国的な知名度も高まったが、1993年第40回衆議院議員総選挙では、宮澤派の所属であり、宮澤喜一首相同様大蔵省の出身であったため有権者から敬遠されたり、また、自民党副幹事長の為に選挙区での選挙運動が手薄になり、一方で新党ブームの煽りを受け旧埼玉1区で次点で落選。
1994年5月、自民党を離党し、当時の与党である新生党に入党。同年末の新進党結党に参加し、1996年第41回衆議院議員総選挙には新進党公認で埼玉1区から出馬したが、中選挙区時代からのライバルだった自民党の松永光に敗れ、落選した。新進党解党後は無所属のまま、1998年第18回参議院議員通常選挙埼玉県選挙区から出馬(旧新進党系の各党が推薦)し、5年ぶりに返り咲きを果たした。
1999年改革クラブに入党したが、同党は半年後に解党。自民党への復党を希望したものの認められず、2003年8月、埼玉県知事選挙に無所属で出馬する。当初は自民党や公明党の支援を期待していたものの、支援は得られず、上田清司らに敗北した。その後自民党に復党し、2004年第20回参議院議員通常選挙比例区から出馬したが、落選。
2004年の弁護士法改正により、司法試験合格者は司法修習未修了でも国会議員在職5年以上で100時間の研修を経て弁護士登録が可能になったため、弁護士登録〔この制度を利用して相澤英之津島雄二佐藤剛男原田義昭も弁護士登録している。〕。東京弁護士会に所属し、ホテルニューオータニ内及び新橋に事務所を所有している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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