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浦和宿[うらわ しゅく]
浦和宿(うらわ しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸・日本橋から数えて3番目の宿場〔名所絵では起点と終点も数に入れるため、表記上の数がずれる。したがって、浦和宿は「第四」の画。〕(武蔵国のうち、第3の宿〔現在では、埼玉県に属する第2の宿。〕)。 また、北は日光街道と連絡し、南の府中通り大山道(相模大山および大山石尊〈現:大山阿夫利神社〉詣での道の一つ)とは荒川の渡し場2箇所、羽根倉の渡し(現・埼玉県志木市内)と秋ヶ瀬の渡し(現・埼玉県さいたま市内)によって繋がっていた。現在の埼玉県さいたま市浦和区(旧・浦和市)にあたる。 == 概要 == 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡浦和郷浦和宿〔宝亀2年(西暦771年)10月27日以前は東山道武蔵国足立郡。〕。浦和宿は上町(のちに常盤町)・中町・下町(のちに高砂町)からなり、現在は区画整理を経て常盤・仲町・高砂がそれぞれ対応している。 1591年(天正19年)までは大宮宿は馬継ぎ場で、宿場は無く、北隣の宿場は上尾宿であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浦和宿」の詳細全文を読む
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