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浪花友子 : ウィキペディア日本語版
浪花友子[なにわ ともこ]

浪花 友子(なにわ ともこ、1909年2月13日 - 没年不詳)は、日本の女優である〔''浪花友子''、''jlogos.com'', エア、2013年2月4日閲覧。〕〔''浪花友子''日本映画データベース、2013年2月4日閲覧。〕〔''浪花友子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月4日閲覧。〕〔''浪花友子''、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月4日閲覧。〕〔''浪花友子''東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月4日閲覧。〕。出生名石津 霊子(いしづ れいこ)〔、結婚後本名斎藤 霊子(さいとう れいこ)〔蒲田, p.41.〕。
== 人物・来歴 ==
1909年明治42年)2月13日岡山県児島郡(現在の同県倉敷市岡山市に含まれる地域)に生まれる〔。
1926年(大正15年)3月、旧制・京都女子高等技芸学校(のちの京都高等技芸女学校、現存せず)を卒業し、同年7月25日、東京に移り、松竹蒲田撮影所に入社する〔〔。同年10月1日に公開された、斎藤寅次郎監督の時代劇怒濤』に出演して、満17歳で映画界にデビューした〔〔。1933年(昭和8年)、満24歳で同社の監督・斎藤寅次郎と結婚する〔。当初は娘役、そして妻役を演じていたが、やがてトーキーの時代になり、その後は、同年3月1日に公開された野村浩将監督の『応援団長の恋』、あるいは10か月のブランク後の翌1934年(昭和9年)1月20日に公開された同監督の『玄関番とお嬢さん』以降は、芸妓や女中役ばかりとなる〔〔。結婚後は、夫の斎藤作品には一切出演していない〔〔〔。
同撮影所は、1936年(昭和11年)1月15日、神奈川県鎌倉郡大船町(現在の同県鎌倉市大船)に新設された松竹大船撮影所(現存せず)に全機能を移転することになり、浪花も大船に異動になり、ひきつづき同撮影所が製作する映画に出演した〔〔〔〔。同年9月15日に公開された小津安二郎監督の『一人息子』では、笠智衆の妻で爆弾小僧(横山準)の母という役どころを演じたが、ほかは芸妓役が多かった〔〔〔。満28歳となった1937年(昭和12年)3月3日に公開された小津安二郎監督の『淑女は何を忘れたか』以降の出演作が見当たらない〔〔〔。
1982年(昭和57年)5月1日、夫の斎藤寅次郎が満77歳で死去した〔、2013年2月7日閲覧。〕。以降の消息は不明である〔〔〔〔。没年不詳。長男斎藤稔は脚本家である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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