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浮田国定[うきた くにさだ] 浮田 国定(うきた くにさだ、宇喜多 国定、生年不詳 - 弘治2年(1556年?))は、戦国時代の武将。大和守。宇喜多久家の3男で、宇喜多能家の異母弟。 ==生涯== 備前の大名浦上氏に仕える。 異母兄である能家と折り合いが悪かったため、天文3年(1534年)島村盛実と手を結んで能家を討ち、砥石城城主の座に就く(盛実が城主だった時期を経て、その後国定が砥石城主になったという説もある)。 天文20年(1551年)、備前に侵攻してきた尼子晴久への対応を巡って、主君・浦上政宗とその弟・浦上宗景が対立した際には政宗方に与した。砥石城は浦上氏の重要な拠点の一つで有り、砥石城奪取を狙う宗景は能家の孫、宇喜多直家に砥石城攻略を命じ、これ以後、国定は直家としばしば抗争を繰り広げる。家臣の馬場職家などの奮闘もあり度々撃退するも、弘治2年(1556年)ごろ、ついに砥石城は落城。この際に国定も討ち取られたという。 なお、落城した砥石城には、島村盛実に預けられたといわれるが真偽の程は不明。ただし、直家がこの時には砥石城を与えられずに尼子・政宗勢力の抑えのために乙子城から奈良部城(新庄山城)に移った事だけは明らかとなっている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浮田国定」の詳細全文を読む
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