翻訳と辞書
Words near each other
・ 海洋科
・ 海洋科学
・ 海洋科学技術センター
・ 海洋科学者
・ 海洋科学部
・ 海洋科学高等学校
・ 海洋秩序
・ 海洋管理協議会
・ 海洋細菌
・ 海洋考古学
海洋自由
・ 海洋自由の原則
・ 海洋自由論
・ 海洋船舶
・ 海洋観測
・ 海洋観測船
・ 海洋観測艦
・ 海洋証券
・ 海洋調査技術学会
・ 海洋調査船


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

海洋自由 : ウィキペディア日本語版
海洋の自由[かいようのじゆう]
海洋の自由(かいようのじゆう)とは、公海がどの国家の支配下にもなく、すべての国家に解放されているとする国際法上の原則であり、公海の自由ともいわれる〔「海洋の自由」、『国際法辞典』、47頁。〕。1609年に刊行されたフーゴー・グロティウス 著『自由海論』の中で説かれた理論に起源をもち、19世紀以降国際法上の原則として確立したものである〔〔山本(2003)、338-340頁。〕。この自由のなかには、国家の支配が禁止されるとする「帰属からの自由」という側面と、国際法上の条件に従えばすべての国家が自由に利用できるとする「使用の自由」という2つの側面がある〔杉原(2008)、138-139頁。〕〔山本(2003)、419-421頁。〕。
== 沿革 ==

グロティウスは1609年に『自由海論』を刊行し、母国オランダを弁護する立場から先占により海洋領有を主張していたスペインポルトガル(トルデシリャス条約参照)に反発した〔柳原(2000)、109-112頁。〕。グロティウスは『自由海論』の中で、自然法により海はすべての人に解放されているため、海の領有は許容されないと主張したのである〔高林(1981)、301-306頁。〕。現代国際法上の海洋の自由の原則は、この『自由海論』の理論に起源をもつとされている〔。この『自由海論』は当時大きな反響を呼び、1610年代から1630年代にかけてセラフィム・ジ・フレイタスウィリアム・ウェルウッドジョン・セルデンなど多くの学者が『自由海論』で述べられた海洋の自由の理論に反駁する書籍を刊行した〔柳原(2000)、116-119頁。〕。このようにして17世紀には海の領有問題について論争がおこり、「海洋論争」と呼ばれる学術的論争の時代となった〔杉原(2008)、121-123頁。〕。
18世紀になると、こうした学術的論争は沿岸国の平和・安全・秩序のために必要な範囲の「狭い領海」と、その外側にある「広い公海」という二元構造で海をとらえる考え方に落ち着いていき、18世紀から19世紀初頭にかけてこうした考え方は当時の国際社会から合理的なものとして受け入れられ、慣習国際法として成立したのである〔〔。
海洋法の分野ではこのように慣習国際法に起源をもつ法規が長きにわたり一般的で、各国は19世紀後半まで条約の作成に対して消極的であったが、20世紀になると国際連盟の主導の下で慣習国際法の法典化作業が試みられたが、領海の幅に関して各国の意見が一致せずこの時は法典化には失敗した〔山本(2003)、340-344頁。〕。第二次世界大戦後には国連のもとで法典化作業が継続され、領海の幅についてはこの時も合意に至ることができなかったものの、1958年には領海条約公海条約大陸棚条約公海生物資源保存条約という、いわゆるジュネーブ海洋法4条約が採択され〔、公海条約には公海の自由に関する規定が定められた〔「公海に関する条約」、『国際法辞典』、85-86頁。〕。1982年に採択された国連海洋法条約では200海里まで排他的経済水域を設定できることとされたため、今日では海洋全体のうちで海洋の自由が妥当する公海の部分はかつてと比較すると大幅に狭められることとなった〔柳原(2000)、124-125頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「海洋の自由」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.