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海王星の発見 : ウィキペディア日本語版
海王星の発見[かいおうせいのはっけん]

この項目では、海王星の発見(かいおうせいのはっけん)について述べる。海王星の存在は、直接観測される前に数学的に予測されていた。ユルバン・ルヴェリエの予測に基づき、1846年9月23日から24日の夜に〔ベルリン天文台ヨハン・ゴットフリート・ガレハインリヒ・ダレストとともに行った望遠鏡観測で実在が確認された。フランソワ・アラゴは、ルヴェリエは「ペンの先で」この惑星を発見したと述べた。
海王星の発見後、実際は以前から何度も観測されながら認識されていなかったことが明らかとなった。また、その位置を計算していた者もいたが、発見には至らなかった。1846年までに、天王星は1781年のウィリアム・ハーシェルによる発見からほぼ軌道を1周しており、天文学者はその経路に、アイザック・ニュートン万有引力では完全に説明できない一連の不規則性を検出していた。しかしこれらの不規則性は、さらに遠方にある未知の惑星の重力を仮定すれば解決することができた。1845年、パリのユルバン・ルヴェリエとケンブリッジのジョン・クーチ・アダムズはそれぞれ独立にそのような惑星の位置の計算を開始した。不幸なことに、海王星の発見の直後、当時のイギリス王室天文官ジョージ・ビドル・エアリーはアダムズも既に惑星の発見を予測していたと発表し、国際的な先着論争を引き起こした。しかし、王立協会は1846年に、アダムズには言及せず、ルヴェリエの業績を称えてコプリ・メダルを授与した〔。
海王星の発見のわずか17日後、ウィリアム・ラッセルは衛星のトリトンを発見した。
==初期の観測==
海王星は暗すぎるため、裸眼で見ることはできない。視等級が7.7より明るくなることはない。従って、海王星の最初の観測は、望遠鏡が発明された後に可能となった。ガリレオ・ガリレイが1613年に、ジェローム・ラランドが1795年、ジョン・ハーシェルが1830年に海王星を観測し記録していた証拠があるが、当時これを惑星だと認識した者はなかった。これらの発見前の観測は、海王星の軌道を正確に決定するために重要であった。海王星は初期の望遠鏡でも明るく見えたので、他の発見前の観測の記録についても確かであろうと思われる。
ガリレオの残した図は、彼は1612年12月28日と1613年1月27日に海王星を観測しており、どちらの時もガリレオは木星の非常に近くに海王星を観測し、恒星と誤認していたことを示している。彼はこれを青色の恒星と信じていたと考えられており、そのためガリレオは海王星の発見者とはされない。初めて観測した1612年12月には、海王星はまさにその日に逆行しようとしており、そのため空に留まって見えた。しかし、2009年7月、メルボルン大学の物理学者デヴィッド・ジャミーソンは、ガリレオが実際はこの星について何か通常とは違うことを発見していたことを示唆する新しい証拠があると発表した。ガリレオはノートの1冊に、1月28日の背景の恒星(海王星)の動きと、異なるインクで海王星の位置への点を記しており、これは彼が1月6日の夜にも観測していたことを示唆しており、初期の観測の間、継続的に観測していたことを示すとした。しかしこれまで、ガリレオがこの天体を惑星と認識していたことを示す明確な証拠もなく、またこの観測結果を発表したということもない。さらに彼がこの天体を再び観測しようと試みたという証拠もない〔
〕。
1847年、アメリカ海軍天文台シアーズ・ウォーカーは、発見以前の海王星の観測の歴史記録を探した。彼は、1795年にパリ天文台でラランドのスタッフが行った観測は、海王星の方角であったことを発見した。1795年5月8日と5月10日の観測では、この星はおおよそ海王星の方角にあった。位置の不正確性は、コロンで示されていた。この記号は観測誤差を示すのにも使われ、そのため天文台の原記録が調査されて初めて、この天体が海王星であり、2日間の観測の位置の誤差が惑星の運動に由来していたことが確認された。1795年の海王星の位置に関するこれらの記録の発見は、海王星の軌道についてのより精度の良い計算に用いられた。
ジョン・ハーシェルは、1781年に父のウィリアム・ハーシェルが天王星を発見したのと同じ方法で、海王星の発見寸前まで行った。1846年のフリードリッヒ・フォン・シュトルーベに宛てた手紙の中で、ジョン・ハーシェルは、1830年7月14日の掃天観測の際に彼は海王星を観測していたと述べた。彼の望遠鏡は、海王星を青い小さな円盤に解像できるほどの精度であったが、当時はそれに気付かず、恒星だと誤認した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「海王星の発見」の詳細全文を読む



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