|
海老川(えびがわ)は、千葉県船橋市中央部を流れる海老川水系本流の二級河川。日本武尊の東征の際に、地元民が小舟を並べて橋を渡したという、船橋の地名の由来となった河川である。 == 地理・環境 == 船橋市金杉6丁目にある御滝山金蔵寺御滝不動尊の湧水を水源とし、西へ流れる。船橋市立金杉台小学校の裏手より、金杉台団地を囲うように流れてゆく。団地を抜け、鎌ヶ谷市方面から南流してきた金杉川を合わせると田地に入る。船橋市立夏見総合運動公園手前で南へ曲がり、ゆるやかな谷津から平野部へと入る。両岸には河川の沿道が現れ、夏見7丁目付近で念田川を合わせる。河川幅が広がり、以降は約1kmほどの間両岸に桜並木道が続く。東町の東葉高速線橋梁付近で飯山満川を、さくら橋手前で前原川をそれぞれ東から合わせ、南西へと流れる。船橋市中央卸売市場の敷地を抜け、更に長津川を西から合わせて中心市街地を貫流する。国道14号(千葉街道)の船橋橋(ふなばしはし)が海老川の河口となっている。 内水面域では東から花輪川を合わせる。西岸には多くの漁船が停泊しており、京葉道路を越えると海老川水門(船橋排水機場・海老川排水機場)となる。水門の先は船橋港が広がり、東岸が船橋港親水公園である。湾岸道路(国道357号・東関東自動車道)の海老川大橋及びJR京葉線を越えると、東京湾へ辿り着く。三番瀬の最東部に位置している。 念田川合流地点より上流部は北谷津川(きたやつがわ)と呼ばれ、「海老川」は一般的にはそれより下流部を指す。北谷津川区間を合わせた流路延長7,456mのうち、八栄橋上流端より下流2,670mが二級河川に指定されている。支川数が多く流域は船橋市の3割を占め、支流の金杉川上流部分は一部鎌ヶ谷市にも跨る。下総台地に位置するが総じて起伏が緩やかであり、水源と河口との標高差はあまりない。小さい河川だが江戸時代にはもっと水量が多く、下流では五大力船が方向転換をすることができたという。現在では台地の住宅開発に伴う河川流入の水量の減少や治水工事、河川整備によって水量も少ないが、ごく近年まで大雨などによって洪水などの災害をたびたび起こしていた。 二級河川指定区間は両岸に散策道やベンチ等が整備され、「海老川ジョギングロード」としてジョギングにも利用されている。河口東岸からスタートし、本流から長津川・船橋総合運動公園を経由し北谷津川に出て、本流へ戻るルートが想定されており、道中にポイントとして「海老川造形道標十福像」が設置されている。1985年(昭和60年)10月10日に部分完成し、当初は一番から十番まで順路通りの10体であったが、その後中間に増やされ現在は14体となっている。元女子マラソン選手の有森裕子も練習で使用し、その功績を称えた記念碑として八栄橋付近に足形のモニュメントが設置されている。また散策道のうち富士見橋より上流区間は桜並木となっており、ソメイヨシノ・ヤエザクラが約500本植えられている〔さくら情報(船橋市) 〕。 画像:Ebiriver3.jpg|北谷津川(左)と念田川(右)の合流地点 画像:Ebiriver4.jpg|八栄橋から富士見橋まで続く海老川の桜並木 画像:Ebiriver6.jpg|内水面の漁船停泊域、奥に新船橋橋 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「海老川」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ebi River 」があります。 スポンサード リンク
|