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海辺の文学記念館(うみべのぶんがくきねんかん)は、日本の東海地方西部、愛知県蒲郡市竹島町にある博物館(文学記念館)である。 == 概要 == 蒲郡市の「海辺の5館」の一つ(他に、蒲郡市博物館、生命の海科学館、竹島水族館、海賓館マリンセンターハウスがある)である当館は、最も早くに作品内で取り上げた菊池寛〔常磐館は、菊池寛の1922年(大正11年)3月初出の連載小説『火華』で初めて文学作品に取り上げられた。〕〔 〕〔大阪毎日新聞に連載された長編小説『火華』に、「蒲郡の淋しい駅、あの駅を通り過ぎる旅客の誰が、この淋しい街の海岸にこれほど壮麗な旅館のあることを思い浮かべるだろう。」などとある。〕を始め、志賀直哉、谷崎潤一郎、山本有三、川端康成、井上靖、三島由紀夫などに代表される大正・昭和初期を中心とした多くの作家や文化人が滞在し、作品やエピソードを残した旅館「常磐館」の趣を再現した文学歴史記念館である〔海辺の文学記念館 - 蒲郡市(公式ウェブサイト)〕〔。明治末期に建てられた「常磐館」は竹島橋(竹島に渡るための橋)のたもとにあったが、1980年(昭和55年)、建物の老朽化と世相の移り変わりに対応できなくなって廃業し、建物は1982年(昭和57年)に取り壊された〔〔。当館はその跡地に立地する〔〔。跡地は、当館の建設前の1982年から1997年(平成9年)にかけての間は竹島海岸の海浜公園「グリーンパーク」として活用されていた。 館の建物は、中央本町(※ただし、現在の地名。当時の地名では宝飯郡蒲郡町か)にて1910年(明治43年)に建築された木造平屋建ての岡本医院診療所(開業医宅〔。延べ床面積150m²)が建て直しのために取り壊されることになった際、これを蒲郡市が譲り受け、町づくりに活用するべく、再現保全した建築物として1997年(平成9年)に建てられたものである〔。土台のない掘立柱であったことに加えて梁なども細かったため、柱梁の構造材の使用は断念せざるを得なかったが、実測をした上で外観の再現保全に努め、建具などを再使用したものとなった〔(保全のために実際に使われた部材は梁等の一部に過ぎず、緻密な意味での移築ではないが、外観等の意匠については極力当時のままであることが尊重されている〔。建物の延床面積は384.5m²〔。国土庁(現・国土交通省)の1996年度(平成8年度)愛知県地域個性形成事業費補助金2060万円〔を受けて〔、総額6980万7000円〔をかけて整備された〔。 蒲郡プリンスホテルの下方に位置する竹島海岸の海浜公園「グリーンパーク」の一画にて、1997年(平成9年)5月11日に、入場無料の市営施設として開業(開館)した〔。年間入館者数は(確認できるものでは)、1998年(平成10年)、1999年(平成11年)とも約2万5000人であった〔。 蒲郡市ゆかりの作家や、蒲郡が登場する文学作品の紹介と、「がまごおり絵手紙大賞」の作品が展示されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「海辺の文学記念館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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