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消えずの霊火 : ウィキペディア日本語版
弥山 (広島県)[みせん]

弥山(みせん)は広島県廿日市市宮島町の宮島(厳島)の中央部にある標高535 mの。古くからの信仰の対象になっている。
== 概要 ==
山頂には2013年に建て替えられた展望台「宮島弥山展望休憩所」がある。伊藤博文は「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」と絶賛した〔JTB『るるぶ情報版 中国4 広島 宮島 尾道 呉 岩国 '10』平成21年(2009年)8月1日初版発行 p.21〕。
周辺海域(瀬戸内海)および島全体として、瀬戸内海国立公園内に位置しており、弥山の山麓は、ユネスコ世界遺産厳島神社」の登録区域の一部となっている。
北側斜面には、国の天然記念物となっている「瀰山原始林」が存在し、暖温帯性針葉樹のモミと南方系高山植物ミミズバイの同居やヤグルマの群落など、特異な植物・植生の分布が見られる。登山中には鹿に出会うこともある。
平安時代の大同元年(806年)に空海(弘法大師)が弥山を開山し、真言密教の修験道場となったと伝えられる〔社団法人宮島観光協会 〕。ただし、空海が厳島を訪れたことを示す記録は存在しない。
山頂付近には御山神社(みやまじんじゃ)、山頂付近から山麓にかけては大聖院の数々の堂宇、裾野には厳島神社を配し、信仰の山として古くから参拝者が絶えない。
山名については、山の形が須弥山に似ていることからという説や、元は「御山」(おやま、みやま)と呼んでいたのが「弥山」となったという説などがある。なお、山頂にある三角点の名称は「御山」である。
山頂一帯の巨石群は磐座とされており、これを縄文時代の祭祀遺跡と見なす説〔木本泉『佐伯みち-古代の謎を歩く-』株式会社渓水社 2015 p.27〕もあるが、磐座を祭祀する山岳信仰の開始は古墳時代に入ってからである〔時枝務『山岳考古学-山岳遺跡研究の動向と課題-』株式会社ニューサイエンス社 2012 p.63-66〕。また、厳島沿岸部に複数存在する縄文遺跡〔古瀬清秀他「厳島における考古学的踏査とその検討(1)-(4)」『内海文化研究紀要』第34-37号(2006-2009) 広島大学大学院文学研究科付属内海文化研究施設〕、及び、地御前南町遺跡〔河瀬正利「広島県佐伯郡廿日市町地御前南遺跡出土の遺物について」『広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室年報Ⅶ』(1984) 広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室〕などの対岸の縄文遺跡からも、祭祀に関わる遺物は確認されておらず、縄文時代に弥山を遥拝する山麓祭祀が行われたとは考えにくい。後述する様に、弥山中腹からは古墳時代末以降の祭祀遺跡が発見されており、弥山に対する信仰も、この頃始まったものと思われる。
近年、山頂から北に向かって延びる尾根上の、標高270-280m地点にある岩塊群周辺から、古墳時代末-奈良時代に掛けての須恵器土師器瑪瑙勾玉鉄鏃などの祭祀遺物が採集されており、山頂から麓の斎場に神を招き降ろす祭祀が行なわれた磐座ではないか、と考えられている〔妹尾周三「安芸、厳島における新発見の祭祀遺跡-弥山の中腹で発見された岩塊群の検討-」 『MUSEUM 東京国立博物館研究誌』No.639(2012) 東京国立博物館学芸企画部企画課出版企画室〕。
また、本堂付近からは、奈良-平安時代頃の緑釉陶器や仏鉢などの遺物が発見され、鎌倉期に対岸から移建されたと考えられて来た「弥山水精寺」の創建年代を遡らせるもの、として注目されている〔妹尾周三「安芸厳島(伊都岐島)弥山水精寺の創建について」 『佛教藝術』第304号(2009) 毎日新聞社〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mount Misen 」があります。



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