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淀川 隆博(よどがわ たかひろ、1951年3月4日 - )は、日本の元サッカー選手、前Jリーグ所属ジェフユナイテッド市原・千葉社長。現役時代のポジションはGK。 == 人物 == 兵庫県出身。早稲田大学在学中には学生日本代表に選ばれた経験を持ち、1973年からは古河電工サッカー部(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)でプレイ。 引退後は古河電工の営業職を経て、2004年4月から2008年4月までジェフユナイテッド市原の代表取締役社長を務める。 2006年にクラブの監督として契約途中であったイビチャ・オシムの日本代表監督就任要請を許諾、それまで一貫してチームの強化方針を担当していた祖母井秀隆GM(当時)と対立し、祖母井GMは退団する結果となった。 2008年1月上旬までJ1で唯一監督・GMともに決まらず、さらに「脱オシム路線」「アジア進出」を掲げたことで、選手たちの混乱を招いた。それらの結果、主力選手を5人も移籍させてしまうという事態を引き起こした。この年の契約更改交渉の席では「12月31日までに淀川社長がいなくなればジェフに残ります」と はっきりと口にする選手までいた。〔『週刊サッカーマガジン』2008年8月5日号〕 2008年4月25日付で、成績不振の責任を取る形でジェフユナイテッド市原・千葉の代表取締役社長を退任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「淀川隆博」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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