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淑慎帝姫(しゅくしんていき、1096年7月23日 - 1164年)は、北宋の哲宗の三女。 == 経歴 == 紹聖3年6月25日(1096年7月23日)に生まれた。哲宗からは愛された。翌年満1歳の誕生日に、徳康公主の位を授けられた。 元符3年(1100年)3月、叔父の徽宗により嘉国公主に進封された。大観2年(1108年)2月、慶国公主に進んだ。政和2年(1112年)3月、韓国公主に進封され、潘正夫に降嫁した。政和3年(1113年)閏4月、淑慎帝姫に改封された。 靖康の変の際、徽宗・欽宗の子女でなかったため、金による連行を免れた。その後、南宋へ逃れ、呉国長公主に改封された。高宗が崩ずると、孝宗により秦国大長公主に進封された。隆興2年(1164年)、薨去し、「康懿」と諡された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「淑慎帝姫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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