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淩統 : ウィキペディア日本語版
凌統[りょう とう]

淩 統(りょう とう、189年 - ?)は、中国後漢末期の人物。字は公績。父は凌操。長子は凌烈。次子は凌封。揚州呉郡余杭県(浙江省杭州市余杭区)の出身。
== 略歴 ==
203年夏口攻めの際に父が戦死すると15歳で後を継ぎ、孫権から別部司馬・破賊都尉(代行)に任命された。
206年、麻屯・保屯の山賊討伐に従軍。決戦の前に行われた酒宴で、督の陳勤が好き勝手に振る舞ったことを真っ向から咎めたため、陳勤の怒りを買った。陳勤は凌統本人や父凌操を侮辱し、凌統も初めは耐えていたが、侮辱が酒宴の帰り道にまで及んだため、遂に陳勤を斬りつけた。陳勤は負傷し、その傷が原因で数日後に死んだ。凌統は死んで詫びようと屯攻略の際に自ら猛攻を仕掛け、勝利を収めた。凌統は自首したが、孫権は功をもって罪を償えるようにした。
また時期は不明であるが、董襲歩騭蒋欽らと共に山越の彭虎を討伐している。
208年、夏口攻略戦では董襲と共に先鋒を務め、敵将の張碩を斬るという武功を挙げ、その功により承烈都尉に任命された。同年の赤壁の戦いにも従軍し、更に周瑜荊州南郡を攻撃するとこれにも従軍。戦闘中に甘寧の部隊が敵陣に包囲されると、諸将が甘寧を救出に行く間、本陣守備を担当した。これらの功により承烈校尉に昇進した。
214年呂蒙と共に皖城を攻め、盪寇中郎将に昇進、国の相となった。
215年合肥の戦いにおいて凌統は右部督となり、張遼の奇襲により敵に包囲され絶体絶命となった孫権を、腹心の部下300人を率いて救出した。孫権が逃れると再び戦場に戻って戦い、数十人の敵を討ち取った。退却しようとしたときは橋が既に壊されていたため、鎧を着たまま川に潜って泳ぎ、帰還した。孫権は、全身に傷を負って瀕死の状態であった凌統を手厚く看護させた。凌統は部下が全員戻っていないことに落涙した。しかし、孫権は自らの袖で涙を拭い「公績、死んだ者はもう戻ってこない。だが、私にはまだあなたがいる。それで十分だ」と慰めた。淩統の創は甚だしく、孫権は舟に淩統を留め、尽くその衣服を易えた。その創は卓氏の良薬を得た事で死なずにすんだ。 (『呉書』)その功により偏将軍に昇進し、以前の倍の兵を支給された。
このころの呉は常に人口不足で苦しんでいたという。凌統は孫権に「東の山岳地帯には勇猛な人材が多く、威恩をもって味方にすることができる」と進言し、山越の平定・徴兵を申し出た。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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