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深尾繁峯 : ウィキペディア日本語版
深尾繁峯[ふかお しげみね]

深尾 繁峯(ふかお しげみね、元禄10年(1697年) - 宝暦2年(1752年))は、江戸時代中期の土佐藩の家老。第5代佐川領主。幼名孫八。通称左京、平右衛門。初名常重。
== 来歴 ==

*宝永3年(1706年)、父・重方が咎めを受けて、隠居することとなり家督相続する。
*同年12月、家老職を仰せつかる。
*享保5年(1720年)、藩主山内豊常家督相続の御礼言上の際に、江戸城で将軍徳川吉宗に拝謁する。
*享保11年(1726年)、弟の稠済を養嫡子とし、藩主豊常に御目見させる。
*享保17年(1732年)、病のため稠済が政務を代行する。
*元文元年(1736年)、次男の豊之が藩主一門山内豊成の婿養子となる。
*元文4年(1739年)、長男の繁英が稠済の養子となる。稠済、繁英に先立たれたため、寛延2年(1749年)8月、山内隼人茂信(山内規重の子)の子の茂澄を養子に迎える。
*宝暦2年(1752年)没。
父重方と同じく学問に熱心で、地元佐川の出身であった儒学者富永惟安を招き儒臣として登用した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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