翻訳と辞書
Words near each other
・ 深尾精一
・ 深尾繁寛
・ 深尾繁峯
・ 深尾良夫
・ 深尾茂
・ 深尾茂澄
・ 深尾葉子
・ 深尾角馬
・ 深尾重世
・ 深尾重先
深尾重忠
・ 深尾重愛
・ 深尾重教
・ 深尾重敬
・ 深尾重方
・ 深尾重昌
・ 深尾重照
・ 深尾重良
・ 深尾隆太郎
・ 深尾韶


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

深尾重忠 : ウィキペディア日本語版
深尾重忠[ふかお しげただ]
深尾 重忠(ふかお しげただ、1569年永禄12年) - 1658年4月13日明暦4年3月11日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将土佐藩の家臣。筆頭家老
== 生涯 ==
1569年(永禄12年)、深尾重三の子として誕生。幼名は六蔵、のち主水。その後、深尾重良の養子になる。
山内一豊近江長浜へ養父・重良とともに招かれ、100石、ついで200石を得る。小田原征伐で功を挙げてさらに200石を加える。関ヶ原の戦いでも功があり、一豊が土佐国の藩主になると、重良は首席家老1万石、重忠は別に2000石を給わった。
その後、人質として妻子とともに16年間江戸で暮らす。2代藩主山内忠義を輔けて功を挙げ、5000石を賜る。しかし藩命により、重良は一豊の弟康豊の三男・深尾重昌を養子とし重忠の娘と配して家名を継がせることとなり、重忠は南宗深尾家を興し、家老の一員となる。1622年(元和8年)山内忠義の命を奉じて、野中直継寺村淡路乾和三らと共に土佐領内の仕置を定める。
1658年4月13日(万治元年3月11日)病死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「深尾重忠」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.